sekainohajimeのtumbler
ムリをしていると自覚できたら、次の二つに気をつけるといい。  一つは、とにかく「睡眠」を確保すること。睡眠は疲労回復の特効薬だ。  もう一つは、「動的ストレスケアを控える」こと。
みんなと仲良く、という教育も大事だが、「嫌いでも良い」という教育を小中学校でしてくれたらどんなに良かったか。そして「嫌いな人間が居ることを当たり前と認めた上で」相手を傷つけない、尊重するやり方を教えたらいじめとかも減るだろうよ。
"顧客が怒っているのは”→"俺が怒っているのは"、ね。主語を大きくするのは炎上の元ってばっちゃんが言ってた。
オリンピック柔道はもはや柔道ではないなんて言っていた自分をここまで恥じる日が来ようとは思っていなかった。
 
僕が部活で教わった柔道の先生は、畳の上での巌のような荘厳さと畳を出てからの朗らかな柔和さと、その節の見事さそのものが僕ら未熟が侮る余地を完全に消していたように思う。竹刀は待たず、両手親指を帯の結び目辺りに突っ込んで、仕切りにすり足をしながら技の危険や未熟を見つけると黙って止めて自ら形を取って直していく先生だった。
県大会に出れば、先生の周りに他校の指導者たちの人垣ができた。「先生すげえなあ!えらいんやなあ!」と先生の柔和さに甘えて度を越した言動をする僕ら未熟ににこにこと笑いながら、「相手の礼は自分の礼」とよく教わった。その意味がわかるのはずっと後になって僕が柔道を辞めてからだけれど、今も間違いのない処世訓として生きている。
 
道場を含めて6年間、僕は暴力をひとたびも受けなかった。それは誇張でも嘘でもない。寒稽古など、自分の心身を苛める修験の類はあったが、水絶ちなどを含めて強制された覚えはない。
柔道とは、武術から暴力を廃し形として技に転ずることで、自他の武力への向き合い方を修めるものだと習った僕らにとって、暴力はすなわちもっとも初歩の未熟だった。自然、先輩も畳の上ではその横暴さを完全に律したし、逆にそれができない者には居辛い世界だったように思う。
 
柔道はなぜ、畳の上でやるのか。ある日、生意気に穿った答を引き出そうと、そう聞いた頭でっかちの僕に、柔らかに先生は言った。
「投げられても、痛くないようにな」
それが柔道の極意だと、僕は信じている。
地震が少ない地域は建物が耐震構造になってないので
大したことないって余裕こいてる日本人は逃げ遅れて死ぬらしい
郷に入れば郷に従えで、海外で地震に遭遇したら現地人と一緒にビビるのが正解だと
motomocomo:

sft:

suyhnc:

nicolemateo:


icecreamgirl:

pinkmuch:

yourdeafeningsilence:

waitalittlelonger:

nothingbutnette:

(via aliciacasas, peppermintchaos)





(via 500daysofsleeep)

「赤ちゃんはどこからくるの?」

「安定した年収と社会的地位」

夢の中では、後で考えるとおかしいと思うことに、全く違和感を覚えず物語が進行していくことが多い。  別人化は、それと同じような感じで、その時は自分が変だとは思わ(え)ない。自覚症状はないのだ。 「仕事ができなきゃ、死ぬしかない」などと、誰が考えても全く非論理的な思考でも、本人は本気でそう考え、そう感じてしまう。  理屈でいくら説明しても、受け入れてもらえない。そのような思考感情の変化を、精神医学では「妄想」と呼ぶが、うつ状態の自責感や自信の低下は、医学用語でも「罪業妄想」とか「微小妄想」と名前が付けられている。
 しかもまだW杯は続いているのに、貴重な取材パスを持った日本の報道陣が続々と帰国している。これはサッカー記者として本当に恥ずかしい。これで「私はW杯を取材しました」と言えるんですかね。